杏林大病院割りばし死事件【悪いのは医師?母親?事件その後について解説】

割りばし事件

杏林大病院割りばし死事件についてweb上のどの記事よりもわかりやすく、そして詳しく解説します。

この記事を読むとわかること
  • 事件の内容
  • 事件の医療現場への影響
  • この事件など、医療訴訟による医療の質の低下について

この事件は単に割りばし事件(割り箸事件)とも呼ばれています。本記事でもこれ以降単に「割りばし事件」と書きます。

外科医aru

旧帝大医学部卒業後、田舎の忙しい基幹病院で研修医として就職。そのまま外科医となり、2度の転勤を経験。最新のロボット手術にも携わり、手術執刀経験は500件超え。夜間緊急手術も大好きなバリバリの外科医でした。不当な医療訴訟の現場への影響に関して憂慮しながら日々の診療にあたっていました。

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割りばし事件の内容

割りばし事件は1999年(平成11年)の事件です。不運にも割りばしが脳に突き刺さって一人の尊い命が失われました。関係した医師への不当なバッシングにより医療現場に大いなる悪影響を及ぼしました。

関係した医師は全く悪くありませんし、母親を責めるのも間違っています。

以下、詳しく解説します。

受傷

1999年(平成11年)7月10日土曜日。夏祭りでわたがしの持ち手の割りばしをくわえていた当時4歳の男児が転倒して、喉を割りばしで突き刺してしまいました。

男児は兄と母と夏祭りにきており、転倒した時は母はその場にはいなかったようです。

受傷時、男児には一時的に軽度の意識障害が見られたようですが、その後すぐに意識を取り戻しました。

男児は刺さった割りばしを自ら引き抜きました。

救急搬送

男児は祭り会場の保健室に運ばれました。そこで看護師に口の中の傷を確認され、出血は完全に止まっていたようです。

その後、杏林大病院へ救急搬送。

医師が受傷部位を視診・触診。傷の深さは不明でしたが、傷は小さく、止血されており、硬いものなどが触れることもなかったようです。男児の意識状態も良好でした。診察の結果、軽傷と判断されました。

喉の傷の消毒、薬の塗布がなされました。週明けの7月12日月曜日の外来受診と、何かあったとき病院への連絡あるいは受診を指示され、男児は帰宅となりました。

容態急変

翌朝(7月11日)、男児の容態がおかしいことに兄が気づき、母親はただちに救急要請しました。

救急隊到着時には男児は既に心肺停止状態。再び同院に救急搬送され蘇生処置が行われたものの、男児の死亡が確認されました。

死亡後、割りばしの残存も疑われて頭部CTが行われましたが、それでも割りばしの有無などは分からず死因不明でした。

7月12日、司法解剖が行われました。そこで初めて喉の奥に割りばしの破片が刺さっており、頸静脈孔に嵌入し小脳まで達していたことが判明しました。

杏林大学の過去10年前後のデータでは、何らかの物で口の中を突いたケースは100例程度ありましたが、そのうち重大な問題を引き起こした例や死亡した例は一例もなかったようです。

頭蓋底は厚く硬い骨であり、通常は割りばしが貫通することは考えられません。

世界的に見ても頚静脈孔に異物が嵌入し小脳に到達するという症例報告は存在しませんでした。

診察時点でこのような残念な結果となることは医学的に予測不可能であったと言えます。

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男児が死亡したことは非常に悔やまれます。しかし、予測不可能な事故であり、不運としか言いようがありません。医療ではどうにもならないことも多々あります。

裁判

刑事訴訟

2000年7月、警視庁は診察にあたった医師を業務上過失致死傷罪などの容疑で書類送検。2002年8月に東京地検が在宅起訴しました。

業務上過失致死傷罪は、業務上必要な注意を怠り、よって人を死亡または傷害させた場合に成立する犯罪です。「結果が予見出来たにもかかわらずそれを回避しなかった」場合に適応されます。 刑事罰は、5年以下の懲役・禁錮または100万円以下の罰金です。

裁判中に、医師が後でカルテに情報を書き加えたことが発覚し、自分の落ち度を取り繕おうとしたカルテ改ざん疑惑も指摘されました。

これは後に改ざんではなく情報の加筆のみと認めらました。

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多忙な医療現場では最初はカルテは要点のみ記載し、のちに加筆することはよくあることです。そうしないと現場は回りません。このことを知らずに素人が「適当に改ざんと疑う」のは間違っています。

2006年3月、東京地裁はカルテ改ざんの可能性を認めつつ医師の過失(注意義務違反:診察時にCT撮影などを怠った)を指摘した上で、死亡との因果関係を否定し救命は困難だったとして無罪判決を下しました。

検察側は第一審の判決を不服として控訴し、第二審が開かれました。

2008年11月の東京高裁では、カルテの加筆は改ざん意図はないとする被告医師側の主張を認めたのみならず、医師の注意義務違反による過失そのものが否定されて無罪の判決が下り、被告医師の主張が全面的に認められた形となりました。

遺族は上告を希望しましたが、検察は断念。東京高検の検事が上告理由が見いだせないと述べ、被告人の無罪が確定しました。

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無罪は当然すぎるので、告訴状が受理され刑事事件に発展したこと自体が大きな間違いです。

民事訴訟

男児の両親は2000年10月に民事訴訟を起こし、病院側と医師を相手取り総額8960万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴しました。

2008年2月、第一審判決では医師の診察に過失はなく、延命の可能性は認められないとされ棄却されました。

2009年4月に第二審でも同様の事実認定のもと棄却され、遺族は上告をしない方針となり、一連の裁判は終結。結果は医師側の完全勝利です。

割りばし事件における異常な司法

ずさんで脅迫的な検察の取り調べ

裁判で医師が「前例がなく、予見できなかった」と供述すると、検察は激昂して「そんなことはないだろう。現実にあったじゃないか」「(それならば)君の患者はみんな死ぬんだな」と結果論を述べ、怒鳴り散らしたようです。

検察が作成する調書(医師の反省文の部分)は不当に改ざんされていましたが、医師がこれに抗議し訂正を求めたところ「これはな、検事様が作るもんなんだ。だから君が言う通りには訂正しない」などと怒鳴り、拒否したといいます。

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検察官は医師がまともなことを述べると、それに対して怒鳴り散らして不当に糾弾し、自身は調書を改ざんした上に逆ギレしています。
日本の司法はいったいどうなっているのでしょうか。

救急活動記録に対する不当な司法判断

救急活動記録の記載によると男児は救急隊接触から病院到着まで意識晴明でした。

しかし、裁判官は

救急隊員、看護師による意識レベルの観察は、医師の観察より劣るとして採用できないとしました。

このことに関しては裁判官の判断は間違っていると思います。

医療関係者なら誰にでもわかると思いますが、この裁判官は「意識レベルの観察」についてあまりに不勉強なまま判断を行なっています。

意識レベルの判断については救急隊員の方々も救急に携わる看護師の方々もよく勉強されており、当然行うことができます。

それを採用できないとはどういうことでしょうか。意味不明です。

このような裁判官が存在することで司法の信用は地に落ちてしまいます。

この事件の裁判ではその他多くの、悪い意味で驚きを隠せない判断があります。

検察側が都合のいい医者を連れてきて、全く医療現場に実態に則さない発言をさせていたりします。

医療知識が必要なマニアックな内容が多いので本記事ではここまでにとどめますが、検察側の主張は医学的にみて酷いものが多いです。以下の記事が参考になります。

橋本佳子 (2018年6月2日)“割りばし事件”、無罪に導いた医師証人、経験を語るm3.com.

「本裁判では、参考人あるいは鑑定人として証言した医師の中に、本当に医師としての良心に基づいて発言しているのか、疑問に思う例もあった」

「医師が、法廷やメディアで証言あるいは発言を求められた場合には、医師としての良心に基づいて発言すべき。また自分が十分な経験と知識を持っていないことについては、軽々しく発言すべきではない。いつどこであっても同じ発言ができる自信がない限り、発言は控えるべきである」

元杏林大学前教授の長谷川誠医師の主張
橋本佳子 (2009年7月9日 – 30日). “医療維新スペシャル企画 “割りばし事件”元杏林大教授・長谷川誠氏インタビュー Vol.1〜5m3.com.

 「検察は、訴訟上、不利な陳述は証拠として採用しない。司法関係者には当然のことかもしれないが、科学の世界では、あり得ない話である。検察のこれらの行為は、医学に例えれば、自説の証明に不利なデータを省いて論文を作成するようなものである。そんなことを行う科学者がいたら、その時点で科学者としての生命は絶たれる。こんな当たり前のことが、刑事訴訟においてなぜできないのか。まずここを正さないと公正な裁判など行えるわけがない

堤氏の“割りばし事件”に関する論考(『判例時報』2016年9月21日号)

割りばし事件におけるマスコミのひどい報道

割りばし事件は一人の幼い命を失った痛ましい事故であることは間違いありません。

しかし、不可避の事故であり、医療機関を受診して診察を受けたということだけでその責任を医療に問うのは間違っています。

テレビ、新聞など当時のマスコミは感情にまかせ、医師に過失があったかのような印象を与える情報操作を行っています。

無実の医師を実名報道し糾弾しています。これは許されません。

刑事裁判において無罪、また民事裁判において過失なしと判断された後でも、一部の報道では自分たちの主張が認められなかったことへの不満からか、それは続きました。

事件の事実関係はすべて明らかにされているにもかかわらず、一部の新聞やテレビ番組では、隠された事実があり、それが公開されていないがために、無罪判決になったように報道されていました。

「一番心に残っているのは、報道による担当医の人権侵害。本件は、医療事故ではなく、割りばしで不幸な結果が生じたものだが、無罪判決後も担当医を責めるような、報道が見られた。この人権侵害はいまだに回復していない」

「善意に基づく医療の刑事責任は追及すべきではない」

元杏林大学前教授の長谷川誠医師の主張
橋本佳子 (2009年7月9日 – 30日). “医療維新スペシャル企画 “割りばし事件”元杏林大教授・長谷川誠氏インタビュー Vol.1〜5m3.com.

バラエティ番組でも被告医師は不当に糾弾されました。

医療バッシングバラエティで人気お笑いコンビが「医者にかかるときは“弁護士の知り合いがいます”と脅かせ」と言う内容の発言をして、医療不信を煽ったこともありました。爆笑できない問題です。

医療は医療関係者と患者様の信頼関係があってこそ成り立ちます。あってはならない発言です。

本当に悲しいことですが、当時の医療バッシングの影響で、医者の間に「No doctor,no error. 医者がいなければ医療ミスもない」という自虐ジョークが流行りました。

医師が高リスクな医療現場から撤退する傾向が生まれました。「萎縮医療」です。

外科医aru

割りばし事件からしばらく経ちますが、今でもマスコミのひどい報道はあまり変わっていないように思います。

筆者は医師ですので医療関連の報道に関しては専門家の立場から見ることができます。

いい報道ももちろんありますが、驚くほどにひどい内容の報道も非常に多いです。

マスコミは営利団体です。自分たちにとって都合のいいこと、利益につながることだけを報道する、それ以外のことは重要であっても関係はない、という姿勢がみられます。

ここ最近だとコロナ関連の報道でもこういった姿勢がみられました。

偏った意見の医療コメンテーターを出演させてしゃべらせるのはいい加減にやめてほしいものです。

医療崩壊の片棒を担いでいる日本のマスコミは変わっていくのでしょうか。感情論での報道をやめて、理性的な報道をする姿勢に変わってほしいです。

外科医aru

医療の現場では(おそらく医療の現場に限らず)「マスゴミ」という揶揄はよくありますね。

今、新たな火種もあり、筆者はまたマスコミが暴走しないか心配しています。

割りばし事件その後の医療現場への影響【医療崩壊や過剰医療について】

この事件のせいで適切に医療を行なっても結果が残念だと起訴され、大変な裁判に巻き込まれて糾弾されることが医療業界に衝撃を与えました。

刑事、民事合わせると裁判の決着には9年かかっています。

被告の医師が失った時間の補償は行われません。

これではやっていられません。

今回の事件が小児がらみであったことから全国的に小児科医が少なくなりました。「萎縮医療」です。

萎縮医療

医師は医療行為により訴えられたり、逮捕されたりすることを避けるために、診断困難な救急医療や危険度の高い医療に関わることを回避する「萎縮医療」がすすみました。

訴訟リスクの高い産婦人科や外科の志望者はどんどん少なくなっています。

適切に行った医療行為の結果が悪かった場合に訴訟となったり逮捕されたりするようでは、当然困難な医療行為から撤退するようになります。医療は不当な医療訴訟により追いつめられています。

死と隣り合わせの高リスクな現場ではどんなに適切に、懸命に対応しても結果として無念な死に終わることはあります。医療は万能ではありません。むしろ病気や事故の前に医療が無力なことなんてよくあるのです。死を何でもかんでも医療のせいにされてしまってはたまりません。

癌が末期の状態で見つかるとなす術がないことが多いです。ビルの10階から転落した人を助けることはできないことが多いです。これらの例は医師以外にも納得されやすく、訴訟に発展することはまれです。割りばし事件の悲劇も同じように医療ではどうしようもないことです。しかし、(医学的知識がないと)納得しにくいという感情論で訴訟されたり、不当な報道をされたりしています。

死と隣り合わせの高リスクな現場で働く医師は高い志を持って患者様を助けている人たちです。激務とわかっていてその道を選んでいます。そんな人たちに対する仕打ちがこれです。

そんな医師にも自分の生活や家族があります。こんな世の中では続けていけないと現場を去るのは当然です。

外科医aru

どんなに誠実に医療と向き合っても、こんな現場にいては理不尽な訴訟に巻き込まれるかもしれない。家族に迷惑をかける可能性がある。こう思い筆者も急性期外科医療の現場を去りました。

命が関わる訴訟高リスクな現場から医師が立ち去る「萎縮医療」がすすみ、医療崩壊へどんどん傾いています。

「萎縮医療」から「医療崩壊」へつながり、患者様にも悪影響が生まれます。

医療崩壊

杏林大学前教授の長谷川誠先生は、この事件を契機として医療崩壊が大きく進行したと主張しています。

「大病院の勤務医は労働条件に見合わない低収入や過酷な勤務状況に対しても、不満を自ら封印して社会のために貢献してきたが、善意に基づいて行った医療行為の結果が思わしくなかったという理由で、刑事責任を問われる事態がおこり、(中略)医師が現場から立ち去っていった」と批判しています。

外科医aru

全くその通りだと思います。長谷川誠先生は割りばし事件について司法やマスコミの批評を多くされていますが、その内容に関して筆者は全面的に賛成します。その内容は本記事の最後の<参考文献>よりご覧いただけます。

今回の事件に関係する救急医療においては、日本では救急専門医が少なく、非救急専門医によって支えられている現状があります。

この事件を期に医師は自分も犯罪者として糾弾される可能性があると考えるようになり、専門外の診療を避ける傾向が強まりました。

また、24時間あらゆる事態に即座に対応できる体制にある病院は存在せず、多くの中小の救急病院は医療訴訟を恐れて、救急医療から撤退しました。

このような医師への業務上過失致死傷罪での刑事責任追及の事実だけでもこのように救急医療の崩壊を生みます。

さらにマスコミの偏向報道により、医療現場を敵視する間違った世論を作ってしまい、「医療崩壊」へ大きく傾きました。

外科医aru

司法とマスコミが世論を動かして医療を追い込み、結果として、受けられる医療が制限される「医療崩壊」がおきています。

医学研究への影響

医学研究にも深刻な影響を及ぼしてます。

刑事責任につながる可能性があるとの思いから、学会や医学雑誌で症例報告、合併症報告、副作用報告が激減しました。

報告そのものをマスコミがとりあげて「医療ミス」などといいかねません。医師同士の医学的経験・情報の共有を阻害しています。

また、珍しい症例を報告することで、その後に似通った事故が起こった時に司法が間違ってそれを「普通」「医療の常識」と判断しかねないからです。

医療現場にとってあまりにも不利になります。

全ての報告を把握することなど不可能に近く、知っていたとしても全ての可能性をケアすることは残念ながら限られた時間と医療資源の中ではできません。

できない中で、現場はできるだけケアしようとして「過剰医療」を生んでいます。

皆が皆というわけではありませんが、一部の判例で司法は医療分野においてはレベルが低い言わざるをえません。

医療訴訟においては、司法が感情論に流され、合理性や今後の医療への影響の判断力に乏しい判例が「割りばし事件」以外でも目立ちます。

また、マスコミは医療分野における一部の報道はレベルが低いなんていう言葉では済まない有様です。なんとかならないでしょうか。

過剰医療

先ほども触れましたが、割りばし事件などの不当な医療訴訟は「過剰医療」をうんでいます。

あまりに稀な可能性を追求して、検査が過剰になるのです。

以下、「過剰な検査(過剰医療の一つ)」について解説しますが、医療関係者以外の方には少し難しい内容になっています。難しくてよく分からない場合は「割りばし事件まとめ」まで飛ばしてください。

医師以外からしたら、たくさん検査してもらえて、それはそれで安心、と思われるかもれません。しかし、実際は過剰な検査を行なってもまれな可能性を拾い上げることはできないことが多いのです。

検査は万能ではありません。割りばし事件でもCTでは脳内に残存していた割ばしはうつりませんでしたが、そういうものです。

診察により確かめたいこと(病気、外傷)の「検査前確率」を推察。検査の「感度」「特異度」検査の得意不得意を考慮して適切な検査の組み合わせでその起きていて欲しくないことが起きているかどうかの確率を検査結果により下げたり、上げたりする。

こういったイメージで診断をしていくのですが、検査では確率の上げ下げを行うことができるのみのことが多く、確定診断というのは1回の診察や検査ではできないことがほとんどなのです。

例えばインフルエンザの迅速検査も全く万能ではありません。陽性だから絶対に感染しているわけではない(特異度100%ではない)です。また、特に陰性の場合感染していないとはいえない(感度に関しては60%程度)のです。

インフルエンザ感染者10人に迅速検査をしても、4人は陰性と出てしまいます(感度60%)。4人の感染者は取りこぼしてしますのです。

「感度」「特異度」は難しい概念ですが、確かめたいことが起きているか起きていないか確かめるには「検査前確率」がある程度高くないと検査は意味がないことが多いのです。

臨床医学の基本なので医師はこのことをよく理解しています。

しかし、割りばし事件などの不当な医療訴訟が適切な判断を妨げます。

最終的には割りばし事件の被告医師の注意義務違反(診察時にCT撮影などをしていないことなど)は否定されているものの、一審では注意義務違反を指摘されています。

そして、このことで被告医師は注意義務違反に関してマスコミでも糾弾されています。

「検査前確率」の概念を無視しています。

司法がそういった判断をした場合、現場でも「検査前確率」を無視した非科学的な判断を迫られることになります。

そうして過剰な検査が行われています。

これは「過剰医療」のごく一部です。詳しくは以下の記事を参照してください。

日本は保険診療により医療は税金で行っています。このまま「過剰医療」を許すと医療費が増大し、保険診療の維持は困難になる見通しです。

割りばし事件まとめ

この事件により男児が死亡したことは非常に悔やまれます。

しかし、予測不可能な事故であり、不運としか言いようがありません。

医療は万能ではありません。わからないことやどうにもならないことの方が圧倒的に多いのです。

なんでもかんでも医療関係者の責任を問うことはできません。

この事件では被告の医師は無罪となりました。しかし、9年の歳月がかかり、マスコミの偏向報道により名誉も失っています。それはきちんと補償されたのでしょうか?

医療関係者を責めても何も解決しません。必要なのは無用な他責をすることではなく、事故の再発防止について考えることです。

男児の母親への非難について

受傷当日に男児の母親は飲み会に出席していて、そのことを責める内容の意見も散見されます。

しかし、その意見もおかしいと思います。母親はきちんと男児を病院に連れて行って、その上でそこで軽傷と診断されています。母親も医師も悪くなく、誰が悪いでもなく、不運であったとしか言いようがないのではないでしょうか。

医師を責めるのが間違っているのと同様に遺族の方々を責めるのも間違っています。

外科医aru

事件そのものは不運により起きており、医師の糾弾については司法やマスコミが悪かったと思います。事件の遺族の方々を悪者にしてはいけません。

日本では医療裁判は不可能か

司法に関しても関与した裁判官や検察が悪いのかと言われたらそうは思いません。

医療は専門性の高い世界です。検査、治療の方針決定のプロセスは複雑で、正解・不正解がなく、医師により結果が分かれることもあります。

医療訴訟における司法判断(特に刑事訴訟の場合)には高度な医学的知識や現場の環境を知る必要があります。

しかし、司法関係者は医療に関してはド素人なので現状のシステムで適切に医療裁判を行うこと自体が不可能なのです。システムが悪いのではないしょうか。

外科医aru

割りばし事件では検察は被告医師に怒鳴っていて、それはアウトだと思います。

まともに医療裁判を行うなら医療現場の実情と医療に関する「ちゃんとした」知識を持つ特別な裁判官や検察が必要だと思います。

医療に対する司法のシステムそのものに無理があります。

医療現場の経験がないド素人が多少勉強しても診断や治療に関してちゃんと理解することはできません。最低限でも医学部6年+研修医2年の基本的医療知識と現場経験は必要です。専門領域に関しては、実はこれでも足りないくらいです。

医療ド素人の司法関係者に医療裁判をやらせるのは、九九覚えたての小学2年生に微分・積分の問題を解かせるのと同じくらい無理があります。

医療裁判のシステムの見直しが必要です。現状の司法システムで医療を裁くのは無理があります。

数々のとんでも判決があります。

患者様への影響

さて、ここまでの内容をまとめながら医療現場、患者様への影響について考えます。

割りばし事件により以下の影響が出ました。

  • 小児科医が減ったことで、
    小児科医不足となり小児医療の質が低下した
  • 救急医療から病院が撤退したことで、
    救急搬送先がなくなり救急車がたらい回しにされるようになった
  • 医学研究で症例報告、合併症報告、副作用報告しにくくなったことで、
    医学の発展に支障をきたしている
  • 高リスクな医療現場から医師が撤退し、
    特定の医療行為を受けられる機会が限定されるようになった
  • 医療訴訟の恐れから過剰医療が加速し、
    保険医療制度の維持が困難になってきている

医療の質が低下する「医療崩壊」が起こりました。

マスコミはまだ懲りず、いまだにこれらの問題点を病院や医師のせいにしようとしていることがあります。

司法やシステム、マスコミ自身が原因なのです。病院や医師は司法やシステムに従う他ありません。

外科医aru

マスコミは医療を不当に悪者にしたがります。自分が悪者なことに気づかれたくないので、医療を世論の敵にしたがります。

行き過ぎた医療訴訟は医療関係者、患者様、両者への悪影響がとても大きいです。

他にも医療訴訟は数多くあり、同様に現場に悪影響を与えて「医療崩壊」や「過剰医療」へとつながっています。

「医療崩壊」が連鎖して次々に別の事件をうんでいます。

割りばし事件の担当医の弁護人であった奥田保氏は「そもそも起訴すべき事案ではなかった」と述べており、これは医療関係者ならば皆が同意するところだと思います。無罪を勝ち取り、世に問題提起をしてくださっています。本当にありがとうございます。

橋本佳子(2008年12月10日)「そもそも起訴すべき事案ではなかった」- “割りばし事件”弁護人・奥田保氏に聞くm3.com.

外科医aru

無罪判決でも甚大な悪影響が出ました。有罪となっていたらもっと酷い「医療崩壊」が起きていたことでしょう。

感情論の危険性

割りばし事件を知って、誰もが抱くのは「死んだ園児はかわいそう」という気持ちです。夢も希望も奪われてしまった4歳児に涙しない人はいないでしょう。

だからと言って、その気持ちを救急の医師にぶつけるというのは間違っています。どんなことでも誰かのせいにしないと気がすまない現代日本の社会風潮のために、結果が悪ければ医師はたちまち悪者にされてしまいます。

両親が納得できないのは仕方ないと思います。愛するわが子を突然失ったのですから、子供の死を簡単には受容できるはずがありません。

しかし、割りばしが脳に突き刺さったのは医師のせいではありません。検証により医師がそんな事態を想像するのは不可能であったことがわかっています。また、たとえそれがわかって入院させても救命することは不可能だったと考えられています。

事件の経緯や問題点を細かく知らない人たちが、「とにかく人が死んだんだからヤブ医者に違いない」という感情的な議論で医師を糾弾したのは許されることではありません。

どうしても結果が悪いと「医療ミス」にしたがる風潮があります。これは医療の質を下げる結果となるため危険な風潮です。

外科医aru

残念ながら日本はいまだにその風潮があります。現場の医師は自分の体を酷使してなんとか頑張っています。しかし、この風潮が「萎縮医療」「医療崩壊」につながって、医師が立ち去り医療の質が低下しています。

高リスクな現場の医師はどうするべきか

懸命に誠実に医療と向き合って、過失がなくても、結果が伴わないと、

  • 不当に訴訟され、裁判に巻き込まれて民事・刑事責任を問われる
  • 理不尽で質の低い報道により実名までさらされて悪者にされる
  • 誰かのせいにしないと気が済まない世論から袋叩きにされる

というのが現実です。

天災のように、理不尽な社会的制裁をいつ受けるか分からないのが高リスクな現場なのです。

このことに耐えられず、高リスクな現場で働く医師は減少して「医療崩壊」しています。

人は減る一方なのでどんどん現場はきつくなっていきます。そんな中で懸命に誠実に医療と向き合っても結果が伴わないと不当な訴訟に巻き込まれるリスクがあります。病院も医師個人を守ってはくれません。有名事件に巻き込まれた医師はことごとく実名をさらされています。

訴訟に巻き込まれたら、例え最終的に無罪となっても、多くの時間を取られます。とんでもない社会的制裁をくらいます。

家族がいたら、家族にも迷惑をかけることになります。

医師一人の力ではこの冴えない状況を改善に傾けるのは困難ですが、脱出することは簡単です。まずは、転職を検討しましょう。医師免許を持っていればもっといい現場はいくらでもあります。

高リスクな現場をみんなが辞めていくと医療崩壊は進みますが、その責任は勤務医個人にはありません。去るしかない状況をつくっている制度側にあります。むしろ現場からみんな去って、強いメッセージを送ることでようやく制度が改善に向かうかもしれません。いいことです。

<参考文献>

割りばし事件

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この記事を書いた人

地方旧帝大医学部卒業。外科医を全力で務めあげたのちに、全力で脱医局、転職を果たしました。医師の転職の素晴らしさに気づき、同じように人生がより良いものになる医師を増やしたいとの思いで情報発信しています。

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