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当ブログと筆者について

外科医aru
外科医あるあるを発信するブログをたちあげました。2024年3月にたちあげたばかりでコンテンツは少ないですが順次更新予定です。

医師の労働環境のありのままの情報は未だ発信者が少ないです。当ブログでは令和初期の現場のありのままの情報をお届けします。

医師転職に関しても転職サービス側が発信する情報がほとんどです。利用者側からの情報を発信することでお役に立てればと思います


医学生、研修医、専攻医以上の医師の方はもちろん、医療関係者ではない方も楽しめる内容になるように心掛けています。

医師の方で、友だちや家族から「どういう働き方してるの?」「医局って何?」など質問のあった時、当ブログの記事を共有していただくことで理解していただける、そんな内容になっています!

特に転職する方で周囲の理解を得にくい場合は当ブログを共有して、自分の置かれている環境の悪さについて、転職の良さについて、ご理解いただけると思います。

当ブログはアフィリエイト広告を含む内容となっております。

当ブログの記事内ではアフィリエイト広告などの広告を掲載している場合があります。筆者が実際に利用したもの、または調べ上げたもののみを広告しています。消費者庁が問題としている「誇大な宣伝や表現」とならないよう配慮し、コンテンツを作成しておりますのでご安心ください。

目次

まずは簡単に自己紹介

旧帝大医学部卒業後、田舎の忙しい基幹病院で研修医として就職。そのまま外科医となり、2度の転勤を経験。最新のロボット手術にも携わり、手術執刀経験は500件超え。夜間緊急手術も大好きなバリバリの外科医でした。

外科医の仕事は大好きでした。

しかし、勤務医を取り巻く環境の悪さに嫌気がさし、脱医局、転職を決意しました。


労働環境の悪さと保険医療の将来性のなさいうネガティブな背景で転職を決意したのもありました。

しかし、新しいことに挑戦したいという気持ちもずっともっていたため、どちらかというとポジティブな転職でした。

いざ、転職をしてみて感じたことは、多くの勤務医は転職する事でより幸せになれるのではないかということでした。

ネガティブな理由だけで転職しても、それで良いのではないかということです。

勤務医として働いているといい事ややりがいを感じることがたくさんありますが、ネガティブなことも本当にたくさんあります。

当ブログではその体験談を記事にしていきます。


何かを決断する時は徹底的に調べ上げないと気が済まず、また、合理主義者であることは自他共に認める筆者の性質です。
本ブログもその特性が強く、徹底リサーチ後の情報を提供し、その後の読者の方々が合理的に行動できるようサポートできるような内容にします。
外科医は世間のイメージ通り非常に多忙です。
それでも豊かなプライベートを満喫するためのライフハックや、多忙な中で行う投資に関しても発信していきます。

幼少期から大学受験まで

小学校時代に勉強に関してやや物足りなさを感じたことから公立中学よりも勉強を頑張りやすい、私立の中高一貫校へ進学。中学1年生のときは塾に通うも、すぐ不要と感じ、部活に専念するために以後は塾には通わず、学校の勉強と自習で旧帝大医学部へ進学しました。

塾なしで旧帝大医学部に合格させてくれるような、いい中高に進学できたなと思います。
友人、先生に本当に恵まれました。中高時代の友人とはほとんど離れていますが、今でも遠方はるばる飲みに行きます。

筆者は人生を通じて運がいいです。運が悪かったことが今までありません。資産家に生まれ非常に裕福という訳ではありませんがいわゆる「親ガチャ」がまず最高でしたね。両親には感謝です。この先、運の反動が来たら恐ろしいです。

自慢のようで申し訳ありません。しかし、筆者は勉強などの才能にすごく秀でているというわけではなく、あくまで自分の能力の正確な把握とそのリソース分配の合理化というスキームでなんとか今のポジションで生きています。例えば、筆者に限って言えばむしろ塾に通い続けていたら旧帝大医学部には合格していないと思います。

医学生時代

医学生時代は実家を離れて自由を謳歌しました。部活や飲み会などに邁進し、勉強はお世辞にも優秀な方とは言えませんでしたが、本試験を落としたり単位を落としたりすることは1度もありませんでした。コスパ良くが勉強のテーマになっていましたね。あまり褒められたものではありません。
病院実習で外科診療の魅力に感じ、外科医となることを決意しました。

友人、先輩、後輩には本当に良く恵まれました。医学部ですので今はそのまま仕事の同僚、先輩、後輩になっています。みんな本当に優秀でついていくのが大変です。

大学の教育にも不満はありませんでした。そして立地はめちゃくちゃいいところでした。繁華街に近く、徒歩で出ることも可能です。

この頃から日本の医療について考えるようになり、疑問に感じる部分もでてきました。

研修医時代

外科志望でしたので、外科が頑張っている病院、すなわち手術件数が多い病院から選び抜いて、希望した病院に就職することができました。最終的な決め手は腹腔鏡手術の比率が高いことで選びました(当時はまだロボット手術は一般的ではなく、腹腔鏡手術の時代でした)。病院選びに関しても追って記事を追加します。

またしても人に恵まれ、最高の同期と共に研修できました。みな優秀で人柄も良く、共に医療に切磋琢磨しました。

病院は学ぶには適していました。しかし、医療現場が医師の労働搾取によって成立していることを目の当たりにしました。時間外手当のほとんどは支払われず、病院内の違法な時間外手当申請についての取り決めなどもありました。医療行為で命を救うのは非常に責任も伴います。それに対して対価が支払われないのはあってはならないことです。

最近は、そういった病院ばかりではないようですが、私はブラック病院ど真ん中で働いておりました。

また日本の医療保険制度についても疑問を感じるようになり、現場の医療が本当にいい事をしているのかと自問自答するようになりました。また、医師の働き方改革について言われだしましたが、その実態に落胆しました。詳細は以下の記事をご覧ください。

外科医時代

外科医となり、毎日のように手術に邁進しました。労働搾取含め、医療現場にはいろいろと疑問は感じておりましたがまずは外科医としての仕事に集中すると決めて、自分の持てる全てを仕事に捧げました。外科医の仕事内容については以下のリンクへをご参照ください。
実際に選んだ病院は外科医としてのキャリアを考えれば最高の病院ではないかと思います。手術件数は大変に豊富でした。しっかり現代風のコーチングでご指導いただけるというわけではないものの無駄なパワハラなどはありませんでした。令和の指導体制とまでは行かないものの平成の指導体制でした。指導医の先生方は間違いなく一流、超一流の外科医です。

しかし、違法な労働搾取が多かったです。これは病院を変わっても同じことでした。全国の勤務医の多くが今、劣悪な労働環境で働き、それと引き換えに今の日本の医療制度が成り立っています。これは悪化の一途を辿っているように思います。今後の日本の保険医療制度の沈没を見据えて、脱医局、転職を決意しました。
この辺りの内容は本ブログの主軸の一つとなる内容で多くの記事を下書きしています。

医局も古臭いまま進歩していないような医局に所属していました。医局とは何か気になった方は以下の記事をぜひ読んでみてください。なんとなくしか理解していない医学生、研修医の先生でも何もわからない一般の方にもためになる記事になっています。

しかし、このことも運が良いと思っています。おかげで新しいことにチャレンジする機会を得ました。

転職後

まだ仕事に慣れたり、試行錯誤している途中です。こちらはまだ詳細は公開できませんが、時が来たら更新します!

ここまで読んでいただきありがとうございます。良質な記事をたくさん提供できるよう準備しています。
外科医aru

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この記事を書いた人

地方旧帝大医学部卒業。外科医を全力で務めあげたのちに、全力で脱医局、転職を果たしました。医師の転職の素晴らしさに気づき、同じように人生がより良いものになる医師を増やしたいとの思いで情報発信しています。

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