医療現場で問題とすべきなのに十分に問題提起されていない、過剰医療について攻めた内容で書いていきます。
日本は国民皆保険(保険医療制度)があるため医療費の大部分は税金(社会保障費)から捻出されています。
非常に高い税金を払っている皆様が、医療費がいったいどんな使われ方をしているか、知ってみるとショッキングかもしれません。
税金で本当にやるべき医療なのか、そんな疑問を持ちながら日々の診療にあたるのがストレスでした。しかも、現場はそこまで疑問に持っていない様子。周りと価値観が合いませんでした。筆者が王道の勤務医を辞めるに至った理由の1つです。
筆者が現場で見てきた過剰医療について解説します。
旧帝大医学部卒業後、田舎の忙しい基幹病院で研修医として就職。そのまま外科医となり、2度の転勤を経験。最新のロボット手術にも携わり、手術執刀経験は500件超え。夜間緊急手術も大好きなバリバリの外科医でした。
過剰医療とは?その意味について
実は「過剰医療」に明確な定義はありません。
高齢化社会により医療費が増大し、医師や患者のモラルの崩壊が言われるようになって、うまれた言葉です。
ここでは「税金で行うべきかを本来慎重に検討する必要がある医療」という意味としてすすめていきます。
医療というものはもちろん大切ですが、必要を超えて提供されると、むしろ人体には有害なものになります。たとえば、薬を過剰に摂取したら毒になるし、必要がないのに入院をさせれば、足腰が弱くなって健康を害してしまう。
藤井聡「過剰医療の構造」
同様に、医療が過剰供給になると、健康の面でも財政の面でも有害です。この本の中では、その様々な事例を紹介しています。
こちらの著書通り、患者様にとって(捉え方によっては)有害になる医療行為も、行われている実情です。
ただし、こちらの著者は医師ではなく、実情と異なる内容や事実と異なる内容も多いです。しかし、医療現場からの共感を得られる内容も多く、「過剰医療」という言葉を提示し、世に問題提起していることには意味があると思います。
しかし、そもそも何をもって有益として、何をもって有害とするか医療の現場では一元的には語れないことが多いです。
価値観によって異なるところが大きく、患者様とそのご家族、医療関係者ですり合わせて個々の場面に応じて有益か有害かが決まります。
例を一つ挙げます:寝たきり高齢者の救命手術の要否のケース
タッチ(クリック)で開きます
認知症で疎通が取れず、寝たきりで透析直前の慢性腎不全が持病の90代の方が消化管穿孔(腸に穴が空いた)による腹膜炎になったとします。
救命治療をしなければ数日で看取りとなることが多い状況です。
手術ができれば「救命」はできる可能性はあります。(できても救命できないことも多い)
手術に向かったとして術中死やむなしの状況です。
手術を完遂できて救命できても、奇跡が起こらない限り元には戻りません。食事が取れなくなってしまう、気管切開して人工呼吸器依存となる、人工透析依存となるなど苦痛を伴う医療依存状態となるケースがほとんどです。手術で人工肛門も造設することもあり、その管理も必要となります。
また、一旦救命したとしても先は長くなく、ほとんどが1年以内にはなす術なく、亡くなってしまします。
患者様本人が非常に頑張らされ、ご家族の密な協力も必須となります。
90代まで頑張って生きてきて、消化管穿孔になったというならそれが寿命と捉えても自然なことです。
手術をせずに看取りと決めたらすぐに痛みをとる医療用麻薬などで苦痛を和らげて穏やかな最期を提供することは比較的容易です。
これを踏まえて、救命の可能性に賭けて手術を行うか、苦痛なく過ごしして自然な最期を迎えるか。
海外ではこういったケースで手術を行うことはほぼないようですが、
日本は「命」の価値観が独特です。
「命」を最優先して手術
または
もう辛いことはやめてゆっくり休んでください
とするか
価値観によって医療行為が有益か有害がかわります。
ただし、その医療が「税金で賄っている」ことも考えると過剰と言わざるを得ない内容は非常に多いです。
自由診療の美容外科でカウンセラーが無駄に高額な施術を勧めていると問題になっていることがありますが、保険医療の世界でも当然のように無駄に高額な医療を勧めるということはよくあります。
医療現場は「コスト意識」は欠如している場合が多かったと筆者は感じていました。
実際には医療の責任と取れない不運でも、何かあったらすぐに医療の責任とし起訴されてしまう日本に医療訴訟の影響も強く受けており、過剰な検査や治療が行われている現状もあります。
「過剰医療」は倫理的な問題も含むため、批評が難しいのですが、少なくとも現状の放置は非常に良くないと思います。
ただ完全にアウトなものも存在するので当ブログはそれらにはノーと言いたいと思います。
① 病院の経営のために不必要な(または無駄に高額な)医療行為を行うこと
② 患者や患者家族の都合で不必要な医療を医師や病院に強要すること
衝撃的かもしれませんがこういったことはあります。
①は論外ですが、保険医療制度により医療の価格は時に不適切に安く定められており、病院を追い込んでいるという背景があります。
②はいわゆるモンスターペイシェントですが、筆者は結構よく出くわしていました。医療訴訟事例が背景にあり医師や病院が要求をのまざるを得ない事情もあります。
一概にノーとは言えない倫理的な部分も含む、
③ 過度な高齢者医療
④ コスト意識に欠ける医療
⑤ 非科学的な医療
についても解説していきます。
議論を行って保険医療の区画整理をすることが急務であると思いますが、残念ながら完全放置と言わざるを得ない状況です。
税金でやることでしょうか?
というものはとても多くあります。
以下、上記の①から④に分類して具体例を解説します。
過剰医療の具体例①病院都合
病床の空きの都合で入院を増やしたり延長したりする
病院経営を優先し、無駄に入院させていることはあります。
これはいけませんね。
日本はただでさえ入院のハードルが低いですし、その費用は税金です。
無駄に高い医療を勧める
病院側が無駄に高い医療を勧めることはそこまで多くはないですがあります。
筆者が王道勤務医時代働いていたような三次救急の病院の勤務医は本当に真面目に医療に向き合っている人がほとんどです。
悪意あって無駄に高い医療を勧めているということはほぼなく、悪気なく「費用対効果」の概念が欠落してることが多い結果に起こっている印象です。
また、最先端医療に関して議論がないままに適応が拡大される傾向もその一因です。
例として、大して寿命延長の効果に差がないのに非常に高額で副作用が強い抗がん剤治療を勧めることなどでしょうか。ごく一部ですがそういった抗がん剤治療はあります。
また外科医の視点から言わせていただくと一部のロボット支援下手術(da vinci など)は過剰医療と捉えられます。
実はものすごく費用が高い割に、きちんと使いどころを考えないと患者様にも余計な負担を強いるのがロボット支援下手術なのです。
ロボット支援下手術に関して、詳しくはこちらの記事を参照してください!
過剰医療の具体例②患者都合
急性期の医療現場にいると病院都合の過剰医療よりも、患者都合の過剰医療が圧倒的に多く感じます。
税金の使い道として不適切なだけではなく、医療関係者や正しく医療を利用している患者様に迷惑がかかります。
入院適応がなくても医師や病院に入院を強要する
医療関係者への恫喝(モンスターペイシェント)
適切な検査を行い、入院適応なしと判断しても、入院させろと恫喝する患者は医療現場で働いていると出くわします。
モンスターペイシェントというやつです。
「帰って何かあったらお前の責任だからな」
これは本来モンスターペイシェント側にお引き取りいただかないといけません。
確かに検査をしても診断は絶対ではありません。
経過をみないと分からないということが実はほとんどなのです。
なので適切に再診、再検査を設定して、入院適応がなければ通院で検査を進めます。
何かあるかもしれないが現在入院適応はない患者様をみんな入院にしていたら、間違いなく全国の病院がパンクします。
入院していただくか、通院していただくかを決めるのも医師の仕事です。
モンスターペイシェントと取り合うのは時間と精神力を必要とします。
恫喝されてしまうと、取り合っている時間がないという実情や、医療訴訟事例の実情があり希望通りに入院させてしまうということは現場ではよく起こっています。
これは確実に「過剰医療」です。そのモンスターペイシェントの入院の費用のほとんどは税金で賄われています。
診療に協力的ではない患者(モンスターペイシェント)の診療拒否は認められているのですが、そこまで行われていないのが実情です。
モンスターペイシェントによって、診療に協力的な一般的な患者様は診療時間が限定されたりと、待ち時間が発生したり非常に大きな不利益が出ます。モンスターペイシェントのせいで医療現場は疲弊し、一般の患者様にも多大な迷惑がかかっています。診療拒否(病院出禁)を積極的に行うべきであると筆者は考えます。
家の都合 お迎えの都合
家で介護が必要な家族をみれなくなってしまったので入院させてほしいと、入院適応がなくてもお願いされることは非常によくあります。
こちらも広い意味ではモンスターペイシェントです。
また退院可能な患者の家族の「お迎えの都合」などで入院の延長を要求されることも非常によくあります。
これらは入院の適応にはなりません。(特に筆者が働いていた急性期病院では)
病院を介護が必要な家族を預けておける施設だと勘違いしている人もいます。
どうしようもなく介護に困っている人もいると思います。それは介護保険の役割だと考えられます。
また一時的な都合ならば「レスパイト入院」という制度もあります。
医療の患者負担が安すぎるせいで医療保険で家族を預かってもらいたいと考える人があとをたちません。
また、介護が必要な方にとって必要のない入院は基本的には有害になることが多いです。
身の回りのことをできるだけ自分でやる必要がある環境から、入院環境に身を置いてしまうと身体が弱ってしまうことが多いです。
また、異質な環境で過ごすことで「せん妄」となって暴れてしまうことや、認知症が進行してしまうこともよくあるのです。
患者本人にとって有害でもあり、税金で行うべきではない「過剰医療」を患者家族都合で行っている実情があります。
取り合っている時間がないという実情や、医療訴訟事例の実情があり希望通りにしてしまっている病院が多いです。
客観的入院適応がない場合は自費診療とすべきです。
救急車の不適切利用
救急車の不適切利用の線引きは非常に難しいのですが、確実に不適切利用という例をあげます。
線引きの議論をしっかり行うか、有償化は必要だと筆者は考えます。
無料で呼びだせる救急車ですが、救急車が一回出動するのにかかるコストは4万5千円程度と言われています。
救急外来にいったら2時間待ちと言われたので帰ってから救急車を呼んだ
救急者で来院すると、自分で来院した時と異なって待ち時間が発生しない病院がほとんどのため、そのために必要なくても救急車を利用するということもよくあります。
これは不適切利用です。
眠れないから救急車を呼んだ
これも非常に多いです。救急外来では眠剤の処方ができない場合も多く、何もできません。
蚊に刺されてかゆいから救急車を呼んだ
驚きだと思いますが、こんあこともあります。
他にも筆者が経験したものだと、爪が伸びてきたから救急車を呼んだ、など、驚くべき救急車の利用理由が数多くあります。
キリがないのでこのへんにしておきます。
コンビニ受診
一般的に外来診療をやっていない休日や夜間に緊急性のない軽症患者が二次救急病院の救急外来を自己都合で受診する行為を指します。
平日の昼間に体の不調を自覚しながら「日中は仕事があるから」、「夜の方が空いているから」等を理由とし、休日や夜間に重症者の受け入れを対象とする病院の救急外来を自己都合で受診する行為です。
症状が軽い場合は一次救急病院や夜間休日診療所を利用しましょう。必要と判断されたら、二次救急以上の病院を紹介してもらえます。
一次救急 二次救急 三次救急 とは
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一次救急:軽症患者に対応する一般の外来診療
一次救急は、軽症かつ緊急性が低く、入院治療の必要ない帰宅可能な患者に対応する救急医療です。比較的症状の軽い患者に対応し、必要に応じて二次救急以上の適切な医療機関に紹介します。各都道府県で配置される「休日夜間診療所」や救急指定を受けている地域の開業医や病院が在宅当番制で対応します。
二次救急:入院・手術が必要な重症患者を24時間体制で受け入れ
二次救急は、手術や入院が必要な重症患者に対応します。救急患者の初期診療、手術や入院に対応し、24時間365日体制で救急患者の受け入れを行っています。入院治療を提供できる設備や救急患者の専用病床が整っています。
三次救急:最もハイレベルな救命救急医療に対応
三次救急は、二次救急では対応できない重症患者や特殊疾病患者の受け入れ、より高度な救命救急医療を提供します。三次救急の指定を受けている病院には救急救命センターや高度救命救急センターが設けられており、二次救急と同じく24時間365日体制で患者を受け入れています。医療機関の中でも最もハイレベルな救急医療を提供している、「最後の砦」です。また、三次救急は救急医療の教育機関としての役割もあり、医療従事者が救急救命を学ぶ場でもあります。
いずれにせよ、夜間休日の救急外来というのは、日常診療を行う場ではなくあくまでも緊急で対応が必要な患者様のための場所です。
病院営業時間の繋ぎの診療しか行えないため基本的に出せる薬も休み明けまでの分のみです。
薬剤在庫の問題もあり多量に処方することはできません。
基本的に不調が続いたら結局、病院営業時間内の再診が必要となります。
これにはよく文句を言われました。
そういうシステムなので現場に文句を言われても仕方がありません。
時間の無駄で、他の患者様の迷惑になるので控えるべき行為です。
救急外来の役割が世間一般に浸透しきっていないのも問題です。
具体例は救急車不適切利用と同じような内容となります。
過剰医療の具体例③過度な高齢者医療
「ピンピンコロリ」「老衰」など直前まで元気で過ごし、特に苦痛なく最期を迎えることは多くの人にとって理想的な最期ではないでしょうか。
しかし、医療の発展とともにそういった最期を迎える方は減っています。
「ピンピンコロリ」「老衰」間際に病院に運ばれると、何らかの病名がついて多くの場合治療が行われます。
すると「ピンピン」していた方が「コロリ」とはならず、寝たきりとなり時に不本意な状態で生きていくことになります。
「ピンピンころり」「老衰」を望んでいる(または意思疎通がとれる間に望んでいた)方に対しての延命的な医療行為は慎重であるべきです。
実際、内閣府の調査に対して9割の日本人は延命治療を望まないと回答しています。
出典:『 平成29年版高齢社会白書(全体版)』(内閣府)2017年時点
延命治療
どこまでを「延命治療」とするか線引きは実は難しいのです。
どんな治療を行なっても近いうちに亡くなってしまうが、心臓マッサージ(身体の多少の損傷は避けられない)、人工呼吸器、人工透析などを行なって命の延長を行う医療行為が一般的な認識です。
身体にダメージを与える治療も多く、ここ最近では認知度も上がってきて、適切な説明を行い、希望を聞いた上で行なっていることが増えています。
しかし、以下の治療も捉え方によっては「延命治療」です。
根本的には治療できない場合の誤嚥性肺炎の抗菌薬治療
認知症で疎通が取れず、寝たきりで嚥下機能が低下しているケースなど、根本的な治療方法がないこともあります。
そんな中で、一時しのぎの抗菌薬治療は急性期病院では行われるケースが多いです。
すると一回は持ち直しますが、嚥下機能回復が見込めない場合はまたすぐ再発します。
苦しみがまたやってきます。
筆者ならそんな治療は受けずにこのケース自然に看取って欲しいです。
一時しのぎの治療を行わないと看取りとなるが、行なった場合生き地獄のことが多い印象です。
きちんとそれを説明する義務があると思います。
説明すると苦痛なく過ごして自然な看取りを望まれるケースが多いというのが筆者の実感でした。
こういったケースでは抗菌薬治療と看取りの選択肢を両方きちんと説明している医師が多いかというとまだ少ない印象です。
捉え方によって延命的な治療となる場合は自然な看取りの選択肢も提示するべきと考えます。
患者側にはこういったケースでの状況の受容を促すために「人生会議」(アドバンストケアプラン:APC)を持っておくことを求め、医療者側にはその延命的な治療の成れの果てをしっかり説明する義務があると考えます。
漫画「王の病室」は医療現場を忠実に描いておりこのような「過剰医療」も多く描かれています。
有益かわからない過剰とも取れる医療行為
冒頭でも述べたケースです。
先ほど解説した「根本的には治療できない場合の誤嚥性肺炎の抗菌薬治療」と類似の治療となります。
寝たきり高齢者の救命手術の要否のケース
認知症で疎通が取れず、寝たきりで透析直前の慢性腎不全が持病の90代の方が消化管穿孔(腸に穴が空いた)による腹膜炎になったとします。
救命治療をしなければ数日で看取りとなることが多い状況です。
手術をすれば「救命」はできる可能性はあります。(しても救命できないことも多い)
手術に向かったとして術中死やむなしの状況です。
救命できても奇跡が起こらない限り元には戻らずに、食事が取れなくなってしまう、気管切開して人工呼吸器依存となる、人工透析依存となるなど苦痛を伴う医療依存状態となるケースがほとんどです。手術で人工肛門も造設することもあり、その管理も必要となります。
一旦救命したとしても先は長くなく、ほとんどが1年以内にはなす術なく、亡くなってしまします。
患者様本人が非常に頑張らされ、ご家族の密な協力も必須となります。
90代まで頑張って生きてきて、消化管穿孔になったというならそれが寿命と捉えても自然なことです。
手術をせずに看取りと決めたらすぐに痛みをとる医療用麻薬などで苦痛を和らげて穏やかな最期を提供することは比較的容易です。
これを踏まえて、救命の可能性に賭けて手術を行うか、苦痛なく過ごしして自然な最期を迎えるか。
海外ではこういったケースで手術を行うことはほぼないようですが、
日本は「命」の価値観が独特です。
「命」を最優先して手術
または
もう辛いことはやめてゆっくり休んでください
とするか
価値観によって医療行為が有益か有害がかわります。
過剰医療の具体例④コスト意識に欠ける医療
実は数多くあるのですが、医療現場でここ最近特に話題となったものを1つ具体例として紹介します。
認知症治療とレカネマブの問題
レカネマブは、アルツハイマー病の新しい治療薬として期待されていますが、非常に高額なため、社会保険料の負担増加への影響が懸念されています。また、高額にも関わらずその効果には疑問の声が上がっており、副作用も懸念されています。
まずはその効果からみていきましょう。
PMID: 36449413より引用
少し見づらいのですが、図A、C〜E(それぞれ異なる評価方法で認知機能を評価しています:縦軸)は黄色でレカネマブ投与群、青色でプラセボ(偽薬)投与群の認知機能(グラフの縦軸)の時間経過(グラフの横軸)を表したグラフとなっています。下にいくほど認知機能は低いことになります。つまりレカネマブ投与群もプラセボ投与群も時間とともに認知機能が低下していくことを意味していますが、レカネマブ投与群の方が下がり方が緩やかです。
また、図BではPETという機会で脳内のアミロイド量(認知症の一因と言われている物質)を調べています。プラセボ投与群ではアミロイドの量はあまり変わりませんが、レカネマブ投与群では投与とともにアミロイドが減っています。
これらの結果から、レカネマブはプラセボに比べて脳内のアミロイドの量を減らして認知機能の低下(進行)を緩やかにしていると考えられます。
上記の図によると、レカネマブの効果は投与後18か月の時点でそれほど大きくはありません。レカネマブには認知症の進行を多少緩やかにする効果しかありません。おそらく、患者自身や家族からみても効果を感じる可能性は低いと思われます。つまり、レカネマブはあくまでも進行を抑える薬であり症状を改善させたり、元に戻したり、進行を止める訳ではありません。
効果はあまり大きくないと言わざるを得ません
また、製薬会社の治験の結果によりますと、およそ10人に1人の割合で、脳がむくんだ状態になったり、脳内でわずかな出血が起きる副作用が確認されているほか、中にはより危険性の高い脳出血が起きた人もいて注意が必要だということです。
副作用は10%と高頻度に脳内の異常をきたす他、危険性の高い脳出血が起きる場合もあります
いかがでしょうか?
さらに、薬価の問題があります。
レカネマブは日本では1人1年あたり298万円(体重50kgの場合)です。2023年12月に保険適応となりましたのでレカネマブの費用の7〜9割は保険から出ます。それだけ医療保険制度に負担がかかっていくことになります。日本の社会保険料はこの30年間は増大傾向ですから、こうした高額な薬が多く使われるようになるとさらに国民負担が増えていくことになります。
これだけのお金をかけて、効果は少なく、副作用もバカになりません。
皆様の税金でこのような治療が行われています。
レカネマブの保険適応には筆者がコスト意識に欠けていると思っている医療現場からも流石に反対の声が多かった印象です。
実は他にもこのようなコストに見合わない治療というのは数多く存在しています。
過剰医療の具体例③非科学的な医療
非科学的な医療は社会的背景から発生しています。
不当な医療訴訟が原因のことが多いです。割りばし事件を例にあげます。
あまりに稀な可能性を追求して、検査が過剰になるのです。
医師以外からしたら、それはそれで安心、と思われるかもれませんが実際は過剰な検査を行なっても稀な可能性を拾い上げることはできないことが多いのです。
診察により起きていて欲しくないこと(病気、外傷)の「検査前確率」を推察。検査の「感度」「特異度」検査の得意不得意を考慮して適切な検査の組み合わせでその起きていて欲しくないことが起きているかどうかの確率を検査結果により下げたり、上げたりする。
こういったイメージで診断をしていくのですが、検査では確率の上げ下げを行うことができるのみのことが多く、確定診断というのは1回の診察や検査ではできないことがほとんどなのです。
例えばインフルエンザの迅速検査も全く万能ではありません。陽性だから絶対に感染しているわけではない(特異度100%ではない)です。特に陰性の場合感染していないとはいえない(感度に関しては60%程度)のです。
インフルエンザ感染者10人に迅速検査をしても、4人は陰性と出てしまいます(感度60%)。4人の感染者は取りこぼしてしますのです。
「感度」「特異度」は難しい概念ですが、起きていてほしくないことが起きているか確かめるには「検査前確率」がある程度高くないと検査は意味がないことが多いのです。
医学部でこのことはよく習うので医師はこのことをよく理解しています。
しかし、割りばし事件などの不当な医療訴訟が適切な判断を妨げます。
最終的には割りばし事件の被告医師の注意義務違反(診察時にCT撮影などをしていないことなど)は否定されているものの、一審では注意義務違反を指摘されています。
そして、このことで被告医師は注意義務違反に関してマスコミでも糾弾されています。
「検査前確率」の概念を無視しています。
司法がそういった判断をした場合、現場でも「検査前確率」を無視した非科学的な判断を迫られることになります。
そうして過剰な検査が行われています。
過剰医療 まとめ
ここまで読んでいただきありがとうございました。
いかがでしょうか?
ここまで読んでいただいた医療関係者の方は「過剰医療」に問題を感じているのではないでしょうか。
医療関係者ではない方は驚く内容もあったかと思います。
筆者は税金を財源とする保険医療の適応に関して、議論が足りない部分が多いと感じています。
少しずつでも、国民、医療者が納得できる形に近づいていくといいなと願っていますが、現状はいい方向には向かっていないように感じています。
日本独特の死生観もなかなか根深いものがあります。
お伝えしておきたいのは、
原因の大部分は保険医療制度、医療訴訟によるものです。
医療関係者もモラルが低い患者もその制度の下で「過剰医療」を生んでいる構造になってます。
自然と過剰医療が生まれるように作られている制度が悪いわけです。
筆者は最大限「過剰医療」とならないように配慮し、説明を頑張っていました。
しかし、患者サイドの要求があると保険医療制度、医療訴訟の制度上「過剰医療」から逃れることができません。
このことは、筆者には苦痛であり、日本で勤務医として働く以上は逃れられないと思いました。税金を搾取して行っている事に罪悪感を感じ、やりがいなどありません。
まあしかし、制度も現場も対応しきれていません。なかなか変わっていかない。つらい。
制度を変えるのは非常に難しいですが、制度の支配から逃れ「過剰医療」の現場から離れるのは容易です。
「過剰医療」に巻き込まれたくないと感じた医療関係者の方は以下の記事を参照してください。
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