本記事は医師・医学生はもちろん、医療関係者ではない方にも分かるように「医局」とは何かを解説します。
- 「医局」とは何か
- 「医局人事」について
- 医局の役割について
- 医局の現在における存在意義について
旧帝大医学部卒業後、田舎の忙しい基幹病院で研修医として就職。そのまま外科医となり、2度の転勤を経験。最新のロボット手術にも携わり、手術執刀経験は500件超え。夜間緊急手術も大好きなバリバリの外科医でした。
医局とは 2つの意味をわかりやすく解説
医師の待機場所「医局」
勤務医は病院で、外来、病棟、手術室、処置室などの場所で診察や処置を行なっています。
それ以外の時間は「医局」と呼ばれる場所が病院にあり、一人一人に机や個室が与えられていて、そちらで過ごします。
学校の先生の待機場所である職員室の医師バージョンが医局です。
この記事を読んでくださっている方はこちらの詳細について知りたいわけではないと思いますので、この程度の説明にとどめます。
医師の人事権をもつ医師派遣組織「医局」
「医局」は大学病院、診療科ごとに設置されています。○○大学病院××科医局、というように。
大きな病院の大半は、診療科ごとに「○○大学病院××科医局関連病院」という肩書きがあります。
病院は診療科ごとに医局に医師(医局員)を派遣してもらって、病院運営を行なっています。
「医局」と「医局に所属する医師(医局員)」は法的には何の契約も結んでいないことが多いです。
しかし、なぜか医局は今も謎の権力を発揮しています。
法的契約はないが構成員が意向に従う組織。いわば「部活」のようなものです。
医局員は、大学病院を含めた、関連病院内を数年おきに転勤することになります。
「医局人事」というやつです。
さて、以下では
- なぜ医師の多くが「医局」に身を置いて、契約関係もないのに「医局人事」に従うのか。
- なぜ「医局」が権力を持つのか。
くわしく解説していきます。
まずは、その成り立ち、歴史からみていくと、これらがわかります。
医局の歴史【時代ごとの医局の役割】
医局の成り立ち(明治時代)
1893年(明治26年)、帝国大学(現在の東京大学)が、当時のドイツを手本に医局講座制を導入しました。
この時の教授を頂点としたピラミッド型の縦割りの医局組織が変わらずに現在まで続いています。
医局が成立した当初は、「医局関連病院」という概念はありませんでした。大学病院で勤務している医師のことを「医局員」と呼んでいました。
この頃は医学の勉強が終わればすぐに開業するというのが一般的であったため「医局員」はまだ珍しい存在でした。
開業には「医師」というステータスだけで充分でした。
医師の「ステータス性」という概念がポイントです。
医局のステータス性の芽生え(大正時代)
時代は進み、1920年代(大正9年以降)になると開業するには「医師」のステータスだけでは不充分となってきます。
医師となった後に大学医局に所属して勤務医として働いて、民間病院でさらに経験を積んでから開業するのが一般的となりました。
また、博士号取得のために大学医局に長く所属し続ける医師が増えました。
「医局」に所属しているという「ステータス」を得るために医局員が増加したのです。
大正時代から昭和の戦前にかけて、博士号のステータス性もありがたがられるようになりました。
博士号は医局に所属し、大学病院での勤務、研究を行わないと手に入りません。
このころ、開業を目指さずに勤務医を続けるという医師も増えてきました。
戦後の医局(昭和時代)
1945(昭和20)年、戦後に日本はアメリカ主導のGHQ(連合軍最高司令官総司令部)による統治を受けるようになりました。
このとき、衛生・医療制度の改革が行われました。
アメリカの制度をモデルに、日本の保険・医療体制の近代化改革が進んだのです。
しかし、医局という組織形態は戦前まま残されました。
教授を頂点としたピラミッド型の縦割りの医局組織が、GHQにとって統治しやすくてちょうどよかったから、そのままにされたと言われています。
このころ、医師が医局に属するメリットであった博士号は、皆が当たり前に取得するようになり、しだいにその価値が薄れていきました。
今や博士号は「足の裏の米粒」といわれています。取らないと気持ち悪いけれど、取っても食えないという意味です。
博士号の価値の低下とともに、医局の存在意義も薄れてしまうのですが、博士号に代わるのが戦後の専門医制度でした。
専門医取得のための関連病院を持ち、そこで人事ローテーションを行う医局人事制度が成立していきました。
今度は「専門医」という「ステータス」のために医師が医局に所属するようになりました。
医療の発展・高度化(平成時代)
大半の医師が医局に所属するようになり、医局は権力を拡大しました。
このころ、医療は急激に発展し、高度になりました。
多くの医師が「最新の高度な医療」を行うことに、やりがいや「ステータス性」を感じるようになりました。
「最新の高度な医療」を行う病院は医局に所属しないと就職できないことがほとんどでした。
急性期の「最新の高度な医療」を仕事にするという「ステータス」を得るためには医局に所属する必要がありました。
医局の歴史 まとめ
なんと、明治時代からの組織体系がそのまま現代まで受け継がれてきたものが医局なのです。
法的な契約関係がなくても医局員の統制がとれているのは、医師が「ステータス」を欲しがってのものでした。
- 大正:「医局員」というステータス
- 戦前の昭和:「博士号」というステータス
- 戦後の昭和:「専門医」というステータス
- 平成:「最新の高度な医療」を仕事にするというステータス
<参考文献>
猪飼周平『病院の世紀の理論』(有斐閣、2010)
池上直己, J.C.キャンベル『日本の医療 統制とバランス感覚』(中公新書、1996)
吉良枝郎『明治期におけるドイツ医学の受容と普及――東京大学医学部外史』(築地書館、2010)
福永肇『日本病院史』(ピラールプレス、2014)
米山公啓『学閥支配の医学』(集英社新書、2002)
医局の現在【存在意義が問われています】
医局に人材を頼らない病院の出現
最近は医局からの派遣に頼らずに医師をリクルートする(急性期)病院が増えつつあります。
急性期の「最新の高度な医療」を医局に所属しなくてもできるようになり始めています。
しかし、「ステータス性」のある急性期の病院に対しては、今でも医局の影響力が強いです。
新専門医制度へ
旧来の専門医制度が2017年に新専門医制度に生まれ変わりました。
新専門医制度では、基幹病院のプログラムに登録して、連携施設をローテートしながら診療実績を積んで専門医を取得する流れとなりました。
基幹病院の中には医局と関係のない病院もあります。
大学病院以外の基幹病院を選べば専門医取得に医局は必要ありません。
専門医制度に関しての詳細はこちら▼
医局の存在意義
- 医師の「ステータス」確保のための組織
- 医師の派遣組織
この2つが医局の大きな役割です。
「他に、研究を行う、医学教育などの役割もある」
との意見も出てきそうですが、それらは「医局」ではなく「大学病院」の役割であると考えます。
医師の「ステータス」確保の役割はなくなりつつある
ここまで医師の「ステータス性」に注目しながら医局について述べてきました。
「博士号」は「足の裏の米粒」となってしまいました。
「専門医」に医局は不要です。
「最新の高度な医療」を仕事にすることはまだ医局が強いですが、今後の流れを考えると時間の問題で医局に頼る必要がなくなりそうです。
医局の「ステータス」確保の役割はなくなりつつあるといえます。
大正時代に戻って、「医局員」であること自体の「ステータス性」しかない状態になりそうです。
医師の派遣組織としての役割も不要な時代へ
医局を医師の派遣組織としてみたとき、お世辞にもいい組織とはいえない医局がほとんどです。
昔は情報もなく、医局に所属しないと就職先を見つけるのが難しかったかもしれません。なので頼らざるを得なかった。
しかし、今は自分で就職先は容易に見つけられる時代です。
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勤務条件 | |
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転職エージェントの圧勝です。
もはや転職エージェントと医局は「スマートフォン」と「ガラケー」の関係性に近いです。医局はすでに衰退していますが、今後その傾向が加速するでしょう。
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医局の存在意義は失われつつある
医師の「ステータス」確保の役割は失われつつあり、
医師の派遣組織としての役割も「医師転職エージェント」に取って代わられる時代です。
そのことに危機感を持って、改革している医局もありますが少数です。
明治時代の制度にあぐらをかいて、衰退をたどっていく医局がほとんどでしょう。
医局に所属していて、少しでも不満のある方。一度、医局に所属したままでいいのか考え直してみましょう。
実際に医局を抜ける医師は増加してます。
医局を抜けることを「ドロップアウト」
「ドロップアウト」した医師のことを「どろっぽ医」と呼びます。
医局は実は違法な組織?
医局は事実上医師の派遣組織ですが「労働者供給事業」は、法律で禁止されています。
「労働者供給」とは、「供給契約に基づいて労働者を他人の指揮命令を受けて労働に従事させること」を意味します。(職業安定法4条8項)
つまり、医局員が医局からの指示・命令で病院を移っているとみなされる場合、医局は「労働者供給事業」とみなされて違法な組織ということになります。
あくまでも、医局員の自由意思に基づいて関連病院内をローテートしている体裁なのです。
あれ?自由意志じゃないと違法なら、もう医局は違法組織なのでは?
医局人事は実は強制力があるものではないのです。
医局とは まとめ
医局とは大学病院診療科ごとに設置されており、医局に所属する医局員の人事権を握る組織です。
医師の雇用契約はあくまでも勤め先の病院と結んでおり、医局とは正式な契約等は結んでいないことがほとんどです。
雇用先が人事権を持たずに、正式な契約関係にない組織が人事権を持っているというのは他の職業には例をみないのではないでしょうか。
このうやむやな体質が病院と医師との関係でもみられます。そのために、医師の労働環境は劣悪な場合があります。以下の記事が参考になります!
博士号の価値が高く、情報が医局に集約していた時代では医局や教授の力は絶大であったと聞きます。
しかし、博士号の価値が低く、情報もいくらでも自分でみつけられる現在では衰退したと言わざるを得ない状況です。
医局側も時代に合わせて変化しているところもあり、これから勝ち組の医局と負け組の医局と二極化するのではないかと筆者は考えています。
自分の所属している医局が負け組となっていく医局だと思ったことは、筆者が転職を決意した一因になっています。
脱医局、転職をして本当に良かったです。逆にやめようと思わせてくれた医局に感謝です。
勤務医個人の力で医局を変えることは難しいです。しかし、医局から逃れることは思うよりも非常に簡単です。
医局は法的契約関係にはないことが多い(各自要確認)ため、辞めるにあたり手続きは何も必要ありません。
メールで辞めることを伝えるだけで問題ありません。
当たり障りのない嘘にならない(またはバレようのない)理由をつけて脱医局しましょう。
特に医局にお世話になっていない段階だったので、問題ありませんでした。筆者含め、若手医師は気軽に医局を辞める人が増えています。
もちろんいい加減な辞め方をしていいのは医局を辞めた後に医局の力を借りない場合に限ります。
どうしても「王道」の勤務医を一生続けていくんだという方以外は医局の力など必要はないです。
そのような方はここまで読んでいただいていないと思いますが、、
もう医師の「王道」を歩むのも考えものな時代です。
大学病院で働いて、教授と顔見知りになってしまうと医局を辞めるのが気持ちの面で少し面倒になりますのでその前に辞めておいた方が良いと思われます。
残念な医局の下で医局人事、転勤を強いられる環境から抜け出しませんか?
以下の記事をぜひ一読ください。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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